2011年9月13日火曜日

金曜日に町長との意見交換会がありました。 

町長に学校に来ていただいて生徒が今不便に思っていること等を伝えるという会だったのですが 
生徒達は堂々と意見を言っていました。 

やはり特に多いのは学校について 
現在は20kmはなれた中学校に間借りをしている状態です。 
家からも遠く、不便でしょうがない・・・・そんな意見が多かったですね。 

仮設校舎・新校舎に求めること 
部活動ができる場所、今までなかった図書室を作ってほしい 
新校舎は前の学校のように木の温かみがある学校に 
スクールバス停までの道路が暗いので電灯をつけてほしい 

前の校舎はどうなるのか?つぶすのではなく有効に利用してほしい。 

これから冬で除雪作業など通学路にはちゃんと行うようにして 

文房具など買えるように購買部をつくって 


町長さんも意見や質問に対してちゃんと説明していただけました。 
来週に町議会があってそこで仮設校舎の予算などが決まり、1月からは仮設に移動できること 
震災復興にできる限りやっていく 

この会はすごくいいことだと思います。 
町長というトップに向かって「こうしてほしい」っていう意見を言う。 
これは生徒にとってこの町の一員であり、これから町を作り上げていくという意識をつくれる。 

先日3年生の修学旅行では国会議事堂にいって 
議員さんに現状を報告し学校建設を含め復興に意見を言ってきたそうです。 
このように中学生が国会議員に言って来るって初らしいんです。 

これから復興していくのは、ココに住む生徒達なんですね。 
彼らにどのような力を付けさせるか 
教師はそこを考えていかないといけないのだなと思いました。 
そういう意味でも、町長に物申す機会を作ったり、国会議事堂に連れて行ったり 
ココの先生たちはすごいなと思います。 

JICAの人が言っていたのですが 
僕らがやる復興支援というのはある意味外部者である。 
実際に復興をしていくのはここに生きていく人たちで、僕らがするのはその人たちの支えである。 
また、復興は元の状態に戻すのが目的ではいけない。 
元の状態にも問題点がたくさんあるわけで、そこを含め改善するようなシステム作りであったり支えをすることが復興だと 

自分はこれからココで住み続ける子ども達に、何ができるか 
どのような力をつけさせていけるのか 

今できることは 
一緒に運動を通じて 
大きな声出して 
楽しませれればいいなぁ 

そのためにも、もっと仲良くならないとな 

再来週に体育祭が行われます。本当は1学期のイベントですができなかったので今月行われます。毎日2時間ほど体育で運動会練習です。 



※この文章だとなんだか物をくれってばかり言ってるみたいだね。 
文章足らずだね。 
でもそうじゃなくてね。 
早くても今いる生徒たちは1年生が少し使えるだけの新校舎なんだ。 
生徒もそれをしってて話しているんだ。 
だから後輩たちには、いい校舎を!小学校も被災してて同じように小学校の仮設校舎で過ごした後輩にはいい校舎をっておもてるんだと思う。 

2011年9月11日日曜日

9月1日


こんにちは
この度9月1日から岩手県で働くことになり、もう引っ越しも終了しました。 
JICAの国内協力員という形で学校支援を行います。 

※以下、堅苦しい話ですいません。 

 7月末まで高校の臨時採用で働かせていただき、延長して働くこともできたのですが、被災地で何かしたいという思いで応募したところ、ここに来られることになりました。 

 震災から半年ほど経ちます。広島にいるとなんだか同じ日本であるはずが、どこか他人事な自分がいることが嫌でした。もちろん募金などをしてはきましたが、節電もなくテレビの映像で見るだけで、ボランティアなど行きたいと思ってもなかなか東北まで行くことができずモヤモヤとしていました。 

 今回、国内協力員という形で7か月の少し長期的に被災地に入ることができ、お金もいただき教員住宅も用意していただける。その準備に動いていただける。一般のボランティアやNPOに比べてすごく恵まれている優遇されているのではないかな?と感じます。 
 準備に携わったJICA、教育委員会の皆様に感謝し活動をさせていただきます。 
 JICAは国際協力が仕事でなぜ日本に?という疑問もあると思います。専門家の方たちは世界の国々で災害復興を担当してこられています。その経験は今の日本でこそ発揮されなければなりません。
 では、協力隊の経験者はどうして?また、なぜお金や宿を頂けるのか?やはりそれも途上国で培ってきただろう経験や能力に期待してということだと思います。 
しかし、自分に何ができるか正直わかりません。教員としても半端者、力が及ばないことも多々あると思いますが、期待されこちらに来ている以上、しっかりとやっていきます。 

 岩手にある○中学校で活動を行いますが、○中学校は津波が浸水し使えない状況なので、20㎞ほどの内陸の学校で授業が行われています。自分はその中学校の近くで住むのですが、生徒は毎朝バスで通学しています。 

 活動内容は体育などのT2や部活動の指導、教員の補助などなどで始まってみないと活動内容がわかりません。まぁ「なんでも屋さん」ということで自分ができることを探してやっていくというところでしょうかね・・・そこらへんは協力隊と同じですね。 

 今日は1日目が終了しました。 
すごく疲れましたが、まぁ初日はこんなもんかと思います。 
まだまだ仲良くなっれてないからまた明日からがんばります。 

 岩手はすごく涼しくて、長袖が必要です。これは冬が相当不安でしょうがありません。 
 寒さ対策が急務です。         



9月3日


今日は日曜日ですが、学校の遠足でした。 
金曜日に急に言われたため、せっかくルワンダ隊と盛岡で飲む予定をキャンセルしてしまいました。 
残念・・・ 

遠足は盛岡動物公園。中学生が動物園? 
と思いましたが、人生は初の動物園の子もいて結構楽しんだみたいです。 

この遠足の目的は遠足ではなくて、復興支援学校との交流会でした。 
岩手県内で被災した学校を内部の学校が担当し支援するという取り組みが行われており 
今日はその地区の学校との2回目の交流会でした。 
メインは交流会で、せっかく盛岡まで出るなら遠足にしちゃおう!という感じでした。 
交流会が行われた学校は啄木の出生地でした。石川啄木の故郷は岩手だそうです。 
ご存知でした?それと宮沢賢治もだそうです。 

交流会は流行のニュウスポーツのキンボールでした。 
初めはなかなか楽しさが理解できていませんでしたが、後半は作戦を考えたり仲良くできてました。 

同じ岩手県内でも被災に関してすくならず差があると聞きます。このような交流会を通じて仲良くなるとこは被災された地域の子どもだけではなく、支援する子どもにもいいことだなぁと思います。 

ということで月曜日が振り替え休日になりますが、やることありません。。 

さぁ何やろ?



9月8日
おととい、「私の主張大会」を聞いてきました。 

生徒が5分という時間で、自分の夢などを発表するのですが、今年は多くの主張には震災に関連したものになってました 

ある子の話をまとめさせてもらうと 
 かりゆし58の歌詞に「僕の生きる今日はもっと生きたかった誰かの明日かもしれない」というものがあって、それを今すごく感じている。それは、この震災で父を亡くしたから。 
 父はすごくまじめな人で消防士をしていた。 
 震災時は2日ほど連絡が取れなく心配していたら、父の消防署から消息不明と聞き、4日目に遺体が見つかった。 
 まじめな父とは、最近話をしていない。話をすると進路の話などから説教になることが多くなってた。反抗期であった。 
 父は人を助ける消防士に誇りを持っていた。これまでも多くの人を助け、震災のときもみんなの為に働いていた。 
 私は父のことを思うと、父のような誇りに思える仕事につきたい。人を助ける仕事につきたい。と考えるようになった。1日1日をもっと大切に生きないといけない 
 今日は父がもっといきたかった父の明日なのだから 

そんな内容でした。実際にはもっとすばらしい内容だったんですけど、伝え切れなくて申し訳ないです。 

他にも 
・「つながり」ということで、震災復興支援をしてくれた感謝と、これからはしてもらった事にお礼をしようというもの 
・震災後の暗やみから戦後と同じという祖母から戦争を聞いて 
・笑顔が笑顔を作っていく、うそでも笑顔を作ろう 

などなど、このような子どもが震災を体験して考えたものを聞けるというのは貴重な体験をさせてもらいました。 
一見すると何も変わらない生徒ですが、やはり色々としんどい体験しているのだと考えさせられる大会でした。